お客様のために手を砕く
製品開発秘話
メーカーとして自社製品のラインナップを整えることは長らく三橋製作所の“夢”でした。
今では三橋製作所の主力製品となった自社オリジナルの製品群。それらができるまでには挫折と努力の繰り返しがありました。
ここでは食品業界への進出のきっかけとなった自動投入装置の開発秘話をご紹介します。
オリジナル製品の“種”
日本が高度経済成長の熱に浮かされている昭和40年半ば、三橋製作所は下請けの製造会社からの脱却を図ろうとしていました。過熱しきった市場を見て、創業者三橋要は「これは長くは続かない。これからは三橋製作所オリジナルの製品で勝負しなければ。」と考え、開発部を立ち上げました。そして、開発部の営業マンがオリジナル製品の“種”を探して、たまたま食品工場に飛び込みました。
当時はインスタントラーメンの需要が急速に伸びていた頃。営業マンが目にしたのは製造ラインに流れる麺の上に、ひとつずつ粉末スープを手作業で置く社員達の姿でした。「たいへんやねん、機械でどうにかならへんか、あんたら機械屋さんやろ?」と工場長。営業マンは「この状況はなんとかしなければならない!」と使命感に駆られました。
手に汗握る、
開発の日々
営業マンはさっそく課題を持ち帰り、開発がスタートしました。これまで金属など硬いものを扱う装置の開発には慣れていたものの、粉末スープのような柔らかいものを扱うのは初めてでした。
最初のアイデアはホッパーにスープの袋を投入し、漏斗(じょうご)に水を流す要領で材料を流せば投入できるのでは?そう考え開発したものの、期待したほどスムーズに袋が流れず詰まりを起こしました。
次に挑戦したのが円形のドラムを回転させながら、袋をひとつずつエアで吸い上げて投入する方式。麺の上にひとつずつスープの袋を置くことはできたものの、袋を並べてセットしなければならず、かえって手間がかかる結果に。度重なる失敗で開発部は肩身が狭くなっていく一方でした。
ひらめきの瞬間
しかし先代社長は「オリジナルブランドは三橋製作所の夢、開発部には自由にさせよう」と社内を説得。開発部も「工場で働く社員さん達のために」と必死に研究・開発をつづけました。
そんな、ある日開発部にひらめきが訪れます。当時スープの袋はカットされた状態で食品メーカーに納品されていたのですが、カットされているからこそ柔らかくて扱いづらい、ということに気がついたのです。
「連包のままなら、もっと扱いやすいのではないか?」
開発部に一筋の光明が見えた瞬間でした。
早速、スープの充填工場に掛け合い、連包のままでスープを取り寄せました。それをそのままシュートに乗せて流し、ひとつずつカットして落とす方法を試したところ、麺の上にきれいにスープが載ったのです。こうして自信を持って市場に出せるオリジナル製品が完成しました。
目の前のお客様の
期待に応える
今では、即席麺の世界的な需要増に伴い、オリジナルブランドは海外へと飛び立っています。欧米を始め、中国、台湾、タイなどのアジア圏、今ではケニアやナイジェリアなどアフリカにまで進出。世界各国の食品工場にも受け入れられ、PACK事業は平成の30年間を通じて22倍の取引量にまで成長しました。
三橋製作所では、“製品”はお客様に求められてはじめて“製品”として成立すると考えています。食品工場で働く社員さんのためにと開発された自動投入機も、お客様の要望があったからこそ生まれた製品です。
小さくても、ニッチであっても、目の前のお客様の期待に応えたい。そんな思いで、世界中のお客様の要望に向き合っています。