創業100年に手が届く
京都企業としての三橋製作所

創業100年に手が届く<br>京都企業としての三橋製作所

三橋製作所は1944年に京都で誕生しました。
京阪三条の北、孫橋で創業してから、西院の地に移転し現在に至るまで、ずっと京都で育ってきました。その発展の経緯を見ると、京都の企業文化の影響を色濃く受けていることがわかります。ここでは、京都企業としての三橋製作所についてご紹介します。

分業という文化

分業という文化 分業という文化

京都には古来より分業の文化があります。例えば着物は糸を紡ぐ、織る、染める、仕立てるといったいくつもの工程を経ますが、各工程をそれぞれ専門家が担当するのが京都流です。一流の職人によって分業されるので仕上がりは自然と最高レベルになる。これが、京都のものづくりの特徴です。

三橋製作所が創業した当時、この京都流でものづくりをされていたのが島津製作所さんでした。設計を専門とし、製造や組み立てといった工程は協力会社に委託するという要領でものづくりをしていたのです。

三橋製作所はその協力会社のひとつでした。当時は一流のものづくりの一端を担えるよう地道に技術力を磨く毎日でした。

京都の産業に育てられる

京都の産業に育てられる 京都の産業に育てられる

最初は機械の製造を請け負っていたのですが、次第に機械制御や設計もできないか、とご相談いただくようになり徐々に技術分野を広げていきました。そうして、図面を引いて製品をつくる、というメーカーとしての技術を身につけたのです。三橋製作所は島津製作所さんに育てられたと言っても過言ではありません。

そして、「いずれ自社製品を持たないと立ちゆかなくなる」と考えていた三橋製作所は、オリジナルブランドの製品開発に取り組みます。最初に開発したのが「蛇行修正装置」。地元の染織機械の企業さんから「原反の巻物を白地から染めていく際に、生地が蛇行しないように流せないか」と相談されて開発しました。京都の産業がオリジナルブランド開発のきっかけを与えてくれたのです。

ニッチ業界に特化する

ニッチ業界に特化する ニッチ業界に特化する

京都の企業社会では「他人の領分を侵さない」「他人の真似をしない」という考え方が尊ばれますが、これは三橋製作所も大切にしている考えです。

自社ブランドの蛇行修正装置や自動投入機はニッチな産業と言えます。市場としては決して大きくはない、けれどその中でのシェアはトップクラスです。

大きなマーケットを狙うと大企業をはじめライバルがたくさん現れ、すぐにシェア争いになってしまいます。
「商売を広げて大きな市場を狙うのではなく、特化してその中で一流になる」「企業規模に応じてポジションをとり、適切なシェアを獲得する」といった三橋製作所の経営方針の背景には、京都流の棲み分けを重んじる文化があるのです。

老舗になるための
イノベーション

老舗になるためのイノベーション 老舗になるためのイノベーション

京都には老舗企業が多いのも特徴です。時流に乗って一時的に儲けることはできても、長く企業を維持するのは簡単ではありません。時代の変化にあわせて事業の形を変える必要があるのです。

京都のグローバル企業・老舗企業を見ると、陶磁器や仏具の金属加工といった伝統技術をコンデンサなどの最先端技術に応用してイノベーションを生み出し発展しています。三橋製作所も下請けから始まり、独自の技術を開発してオリジナルブランドの製品をつくりあげてきました。
もう少しで創業100年に手が届きそうですが、まだまだ。
次の100年に向けて一流の技術を磨き続けたいと考えています。